近づいてきた転院日

おばちゃんパワー


 

主な外科治療が終了した私に必要なものは、『骨形成・融合』のための時間となりました。

ベットもナースステーション隣の重症患者室(2名部屋)から、大部屋(8名部屋)へ移され、

・急性期指定病院のため最大入院期間は3ヶ月であること。

転院先の病院を探さなければならないこと。

・探せない場合は、提携先のリハビリ専門病院へ転院となること。 が告げられました。

 

実際に車イス移動が可能になり他の患者さんをみていると、明らかに私より症状が重篤な方が沢山いらっしゃり、次々に搬送されてきているのも目にしていたので、理解はできるのですが!

約2ヶ月前に死にかけて、やっと車イス(右足台座付き)に乗れるようになったばかりの私は、

『家族もなしで、どうやって1人で入院生活おくるの?!!』

『お金は?支払いは?洗濯は?…?!?』           …etc

と次々に支障をきたす事があふれ出て、家族とも話し合い、地元佐賀県に戻ることになりました。

 

ただ手術等の外科手術は終了していてかつ重傷、一定程度入院設備が整った規模の病院で『術後単純転院』を受入れてくれる病院はなかなか見つかりませんでした。

 

そこで珍しく活躍したのが『母』。

『おばちゃんパワー』で、知合いの総看護師長さんに頼み込んでねじ込んでもらいました。

 

 

* 画像はイメージです。

 

その後の転院・療養生活の経験を鑑みても最初に救急搬送された病院は、家族が九州(佐賀県)から駆け付けて看病している事なども考慮してくれて、最大限優遇してくれたんだなと感謝しています。

重症患者室に約2カ月もおいてくれて、最大の3カ月間入院させてくれました。

私が重症患者室にいた間だけでも隣のベットは何回入れ替わったことか?!3カ月も入院していたのはおそらく私ぐらいだったのではないかと思います。

 

今だから言える事ですが、私にとっても重篤な『生命危機状態』だった急性期は感じる事・考えさせられる事が多い貴重な時間となりました。